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というか今更ながら
ここじゃないところに書こうかと。 単純に整理しようかなと。 このブログは消しちゃうとまずいのかな。それさえ分からん。 約一名程度の読者様、こちらへどうぞ。 http://taletell.blog121.fc2.com/ ていうか管理者が違う気も。 まあノートを新しくするような感覚で移行。 |
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何だかやけにハイペースな鑑賞・受講をしていた気がする。
気が付いたら7月になっていた。 6/26 石原菜々子「こうかんき」 6/27 新転位・21「質屋」 6/30 野田地図「ザ・キャラクター」 ひょっとこ乱舞「ブリキの町で彼女は海を見つけられたか」 7/1 「告白」(2回目) 世田谷パブリックシアター「レクチャープログラム ブレヒトにおける演劇と教育」 7/2 世田谷パブリックシアター「レクチャープログラム 被抑圧者の演劇」 7/3 舞台総合実習ⅢA「三文オペラ」 7/4 ひょっとこ乱舞「水」 松尾スズキ「農業少女」(VTR) 散財しすぎ。 そしてこの間に舞踊方面の院生から舞台芸術に関する原理的な問題提起などもあり わりと現実から遊離したような脳内状況になりつつある。 院生としては健全。と、しておく。 なかでも重要な思索(というか気付き)として 俳優は演じなくては語れない(伝えられない)何かが書かれた台本に反応すべきであり 反対に作家はそのような台本ないしはテクストを書くべきである というようなことを考えつつある。 自身の身体をどのように意識し相対化していくかということ 俳優はどのような態度で作品との関わりを決定するべきなのかということ そもそも演劇の実際的な有用性は何なのかということ こんなような問題意識について考えを巡らせているうちに はたと思い至ったのが上記の思索だった。 至ってみたら単純だった。 単純すぎて次元が低いと思われそうだが 複雑になろうとすればどこまでも複雑になれる演劇に必要なのは単純な基準である。 「この劇が見せようとしていることはわざわざ演劇にしないと表に出せないようなことなのか」 わざわざ演劇にしないといけない理由 それが作品の強度である。 その点、やはり山崎作品と野田作品と中島作品は強かった。 石原作品はきっとこれから強くなる。 |
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そこに誰もいないという前提から始める表現も
当然存在していてよいはずである。 |
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書き留める癖をつけなければいけない
と数年前から思っているが一向にできる気配がない。 話したことがすべて勝手に文字化されて 部屋の壁に記録されていたりしてくれればいいのに。 小説を読みたい。 それもできるだけゆっくりと。 |
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「ダメ出し」という言葉の
発想としてのネガティブさに対して もっと異議が唱えられていてよいように思われる。 「ダメ」を出すということは つまり発想がマイナス要素の是正であって 原則的にゼロにしか到達しえない。 プラスにはならない。 誰が考えた言葉なのかは知らないが 私は基本的にダメを出したいと思わない。 稽古場や作業場はできるだけ 発見と発展の場にしておきたいと思う。 |
